[A Bit on the Side]
ウィリアム・トレヴァーの短編集。
- 作者: ウィリアムトレヴァー,William Trevor,中野恵津子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/03/01
- メディア: 単行本
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いつも、なんだかささっと読んでしまい「もったいない! もっと味わって読まなければ!」と思う。今年は原書も購入してこちらも読んだ。二冊をじっくり読めて、とても満足できた。トレヴァーの作品は全て読み尽くしたいと思うほど好き。
短編の名手で「現代のチェーホフ」と呼ばれているのだが、ユーモアあふれる描写が特徴のチェーホフに比べ、市井の人々のなんでもない日常を映し出すトレヴァーの作品は全体的に悲しみが漂い、作風はかなり異なる。
なのに一体どうしてチェーホフなのだろうと不思議に思っていたのだが、ある時はっと気づいた。チェーホフの作品の最大の特徴は、その「無色透明」さ。
(これは『かもめ』の記事にも書いた。『かもめ』 チェーホフ - トーキョーブックガール)
悪人が出てこない代わりにいい人も出てこない。作家が登場人物の誰かに精神的に寄り添って書いているわけではないので、全てが不思議に無色なのだ。そして、トレヴァーの作品もそうなのだった。たとえ主人公が誰かのことを「どうして一度でも結婚したのか分からない」とか、「ひどい奥さん」だなんて思ったりしても、決して主人公に精神的に加担する形で話は進まないので、読者はバイアスのない視点で物語を見つめることになる。これが、なんでもない人々のなんでもない物語をぱっと鮮やかに浮かび上がらせる。
あとがきによると、トレヴァーは「読者が最終的に読むものよりずっとたくさん書いている」そうで、「作家は、登場人物について、あらゆることを知っていなければならない。知るためには彼らについて書くということが一番いい方法なのだ」と語っている。そこから削って削って、研ぎ澄まされた短編ができあがるという仕掛けらしい。だからこれほど、饒舌ではないのに奥に何かが隠されていることが明確に分かるような文章になっているのだろう。
それから、お酒がとんでもなく美味しそうなのがさすがアイルランド人作家。イギリスやアイルランドに実在するであろう名前のバーやパブで提供される数々のお酒。ビーミッシュのスタウト*1、カウンターをコツコツ叩いてお代わりを頼むジョン・ジェイムソン(アイリッシュ・ウィスキー)*2、スミスウィック(エール)*3、ポーター(黒ビール)*4。
『密会』に収録されているのは12編で、「死者とともに」、「伝統」、「ジャスティーナの神父」、「夜の外出」、「グレイリスの遺産」、「孤独」、「聖像」、「ローズは泣いた」、「大金の夢」、「路上で」、「ダンス教師の音楽」、「密会」。
「死者とともに」
どうしてこんなに女性の視点から物事を見ることができるのだろう。まるでアリス・マンローやグレイス・ペイリー、エリザベス・ストラウトが書きそうな、女性の割り切れない感情が映し出されている。
生前の夫の仕打ちが許せず、初めて会う人たちに死者の悪口を言ってしまう。でも愛情の片鱗は残っているのだ。残っているものの、「悲しみに暮れるほどではないし、彼の死を悼む気にもなれない」。
キャサリン・マンスフィールドの「ガーデン・パーティー」ではないけれど、「人生って……」と呟きたくなる。
「夜の外出」
妙齢の男女のお見合い話かと思いきや、男は「アシ」になってくれる人間を探しているだけだと分かった時の驚きと言ったら!
噛み合わない会話、それなりに美味しいお酒と食事、キラキラと輝いて見える別のテーブルの人たち。終始不協和音が流れているようなのに、最後には不思議なハーモニーが出現するのが素晴らしい。
「グレイリスの遺産」
嫌がらせなのか好意なのか、妻ではない女からの遺産を受け取った男。思い出以外は受け取れないという真摯な気持ちがどことなくアイルランド人らしさを感じさせる。
グレイリスは、妻とはできない読書についての会話を生前の女と交わす。そこに登場する本や作家の魅力的なこと。
ジョイスの『ダブリン市民』、フィッツジェラルドの『夜はやさし』、グリーンの『ブライトン・ロック』、ディケンズの『大いなる遺産』、ジェイムズの『デイジー・ミラー』、オブライエンの『スウィム・トゥー・バーズにて』。
「孤独」
裕福で恵まれた娘が小さい頃に犯した罪。それを隠すために娘を連れ、世界中を旅して回ることになる両親。本当に独りきりになってからようやく分かる両親の愛情と犠牲になった色々なもの。でも、それが分かったからこそ、独りになって感じる孤独は子供の頃感じた孤独よりもましなのかもしれない。
「ローズは泣いた」
トレヴァーの短編に何度か登場する、妻の不貞に関する物語。でもその不貞や影響は、当事者ではないとある少女ローズの視点から描かれる。ローズが最後に泣いた理由がなんともいえない。若さゆえの純粋さと美しさ、失われていくであろう気持ちに対する寂しさ。太宰治の『女生徒』が好きな方は絶対好きだと思う。同じような少女の残酷性が描かれている。
「路上で」
夫を亡くして気まぐれで結婚し、すぐ離婚した相手はなんとストーカー気質で物事を針小棒大に話すろくでもない男。でも、彼に対しての罪を償うかのように話を聞く主人公。奇妙だけれど納得できる不思議な作品。
「ダンス教師の音楽」
読んでいると、大好きなエリナー・ファージョンを思い出す童話のような物語。若い頃にお屋敷で聞かせてもらったピアノ演奏を、おばあさんになっても忘れないメイドのブリジッド。そのエピソードは『天国を出ていく』の「ねんねこはおどる」を彷彿とさせるし、丘を飛ぶように家まで帰る様子はまるで『ムギと王さま』の「ヤング・ケート」のよう。
No longer possessing the strength to stroll on Skenakilla Hill, Brigid looked out from the windows of the house to where tree stumps were the remnant of the hillside woods......She knew with the certainty of instinct that the dancing-master's music was there too. She knew it would be there when she was gone.
もうスケナキラ・ヒルを歩きまわる力もなくなったブリジッドは、窓の外をのぞき、木が切られて切り株しか残っていない丘の中腹を眺めた……[略]……彼女は直感的に、ダンス教師の音楽はそこにあると確信していた。自分がこの世を去る時にもきっとそこにあると信じていた。
「密会」
終わりが見えている39歳の女と40代の男の恋。ちょっとまだ感想が出てこない。あと100回くらい読み返したい気分。
これこそ雨の日に読みたいだなと思い、下記のリストに付け加えました。
みなさま、今週末もhappy reading!