[Чайка]
今日の暑さは暴力的ですね! トーキョーブックガールです。
今週は星組『オーム・シャンティ・オーム』を見に行ったのですが(遠征した)、なんと客席には『阿弖流為』大阪公演を終えた礼真琴さんはじめ阿弖流為メンバーが! 舞台もキラキラ、客席もキラキラで感動♡
さてさて、ものすごーーーーく久しぶりに『かもめ』を読み返した。これ、私のお気に入りの一冊で、10代〜20代前半は本当になんども読んだのだが、なぜか最近遠ざかっていた。なんでだろう? 結婚してからチェーホフをほとんど読んでいない気がする……どういう心境の変化だろうか。
私が持っているのはこちら、白水社バージョン。表紙のイラストは和田誠さん。英語からの翻訳。ロシア語からの直訳ではないので、原書とはニュアンスが微妙に変わっているかもしれない。

- 作者: アントンチェーホフ,Anton Pavlovich Chekhov,小田島雄志
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1998/12
- メディア: 新書
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ちなみに新潮、岩波からも出版されているのだが、集英社からも2015年に発売されているらしい。新訳版だろうか? 読んでみたい。
あらすじ
全4幕の短い劇なので、ネタバレなしであらすじを語るのは難しいのだが、一言で言えば「全員片思い」。最近ありがちな少女漫画のようでもある。チェーホフ自身がこの劇についてこう語っている。
喜劇ー女3人、男6人、4幕、田園風景(湖の眺望)。文学論議はたくさん、動きは少し。5プード(約80キロ)の恋(=たくさんの恋)。
トレープレフ(コンスタンチン、コースチャ)は作家志望の繊細な青年。同じ村に暮らす女優志望のニーナに恋をしており、彼女を主役に据えた劇の上演を準備している。そこへトレープレフの母親で大女優のアルカージナ(イリーナ)とその恋人で人気小説家、トリゴーリン(ボリス・アレクセーエヴィチ)が劇を見にやってくる。アルカージナはトレープレフの劇を揶揄し、トレープレフは姿を消してしまう。
ニーナはトリゴーリンと時間を過ごすうちに彼と彼の小説を書く才能に夢中になる。トレープレフはそれに嫉妬し、ニーナに撃ち落としたかもめを捧げるが、ニーナは彼に冷たく接する。
アルカージナはニーナとトリゴーリンの仲や、ニーナを失って沈むトレープレフに気づき、トリゴーリンを連れてモスクワへ帰ろうとする…というのが主だった4人の恋愛模様。他の登場人物の恋愛模様は……
ソーリン家の支配人シャムラーエフの妻、ポリーナは村の医師ドールン(エヴゲーニー)に長いこと恋をしている。が、ドールンはそっけない態度。
ポリーナの娘、マーシャはトレープレフに恋をしている。が、トレープレフはニーナに夢中で、マーシャにはつれない態度をとる。
村の教師、メドヴェジェンコ(セミョーン)はマーシャに恋をしている。が、マーシャはメドヴェジェンコに全く興味を持っていない。
という感じ。とんでもない恋愛関係である。
「無色」の物語
この劇の最大の特徴は、その「無色」さ。宗教的にも、倫理的にも、とにかく無色透明。悪人が出てこない代わりに、いわゆる良い人も出てこない。非常に稀有な物語だと思う。
一般的には悲劇として演じられることがほとんどだが、チェーホフ自身は「喜劇」だとしている。演者はもちろん、観ている人次第で、何色にも染まることのできる作品ではないだろうか。
私自身は、若い頃読んだときは悲劇のように感じた。が、今読み返してみると喜劇の要素を強く感じる。登場人物誰もが自分のことしか考えておらず、自分の話しかしないので、全く会話が成り立っていないところ。「Here and now」なんてどこ吹く風、過去や未来しか見つめずに生きているところ。恋もすべて思い込みの上に成り立っているようなところ。ちなみに、ニーナがトリゴーリンに送る言葉、
「いつか私のいのちが必要になったら、とりにいらしてね」。
最上級の愛を表すようなこの言葉は、チェーホフ自身がとある女性作家から送られた言葉だそう。(おモテになったのですね〜!)チェーホフ自身は全く気がなかったようで、素っ気ないというかかなり冷たい返事を送っているので、1人で恋にのぼせ上がっている彼女を見て滑稽だと感じた気持ちから生まれた劇なのかもしれない。
かもめの意味(Spoiler Alert/ネタバレあり)
タイトルのかもめ。これはトレープレフが撃ち落とし、ニーナに捧げる「かもめ」から来ている。
トレープレフは愛の象徴、あなたなしでは飛ぶこともできないという暗喩だろうか。が、既にトリゴーリンの虜になっているニーナは、「あなたのやっていることの意味がわからない。このかもめも、何か意味があるんでしょうけど……」と、つれない態度。トリゴーリンはこのエピソードを聞き、「田舎に閉じ込められている娘が、男に人生をめちゃくちゃにされる物語を書こう」とインスピレーションを受ける。その後、トリゴーリンについてモスクワへ行ったニーナは、彼が書く小説と同じくトリゴーリンに人生をめちゃくちゃにされてしまうのだ。
最後に、トレープレフに会いに来たニーナはどこか錯乱している様子で、「わたしはかもめ」と繰り返す。かもめ。恋に操られ、踊らされ、弄ばれたあげく、殺されてしまうかわいそうなかもめ。が、ニーナは本当にかもめなのだろうか?
最終的に恋と人生に破れ、自殺をするのはニーナではなくトレープレフなのだ。どちらかというとトレープレフこそかもめなのでは、と感じる幕引き。そしてニーナのその後については分かりませんが、翻弄されながらも人生の舵を取って生きていくのではという気がする。
宝塚の『かもめ』
なぜ読み返したかというと…星組の『かもめ』(2014年)をスカステで観たから! もともと自分のお気に入りだった文芸作品の、宝塚adoptationを視聴するというのは初めての経験。ほとんど原作どおりのセリフに感動しつつも、こういうところで歌を入れたのか〜というわくわくもあり、楽しんだ。
琴ちゃんが、繊細で傷つきやすいトレープレフを熱演。主役とはいえ、原作の第2幕では一度も出てくることのないトレープレフ。そう……そのことからも、私自身はこの作品の真の主人公はトレープレフではなくニーナなのではないかと考えているのだが。
城妃美伶さんのニーナも素晴らしかった。どちらかというとイノセントな感じを全面に押し出していて、アルカージナやトリゴーリンへの憧れの気持ちが痛いほど伝わって来るニーナだった。
そしてそして、天寿光希さんのトリゴーリンが! も〜〜ハマリ役すぎて感動。夢を叶え、成功した中年男性の悲哀や色気が見事に表現されていて、片時も目が離せなかった。
とにかく皆様表情での演技が素晴らしくて、私は劇場ではなくてスカステで観ることができてよかったのかもと思ってしまった(オペラグラスの操作が下手なので)。