[Pendolo di Foucault]
ずっと読みたいなと思いながらも、読む機会がなかったウンベルト・エーコ。今月は『フーコーの振り子』と『エーコの文学講義』を読むことができた。読書メーターの「ガーディアンの1000冊を読む」コミュニティに参加しているのだけれど、ここでは毎月1冊ガーディアンの1000冊に選ばれている本を読むというイベントが開催しれている。今月のテーマはScience Fiction & Fantasyで、『フーコーの振り子』がリストに入っていたので、いい機会だ! と。
知識の迷宮のようなエーコ作品なので、下準備や調べ物をしてから読み始めた。自身の備忘録代わりに、調べた内容を書き記しておく。今日はちょっと長いです! Please bear with me!
*『フーコーの振り子』にも出てくるbuzzwordsは太文字&アンダーライン表記にしています。

- 作者: ウンベルトエーコ,Umberto Eco,藤村昌昭
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1999/06
- メディア: 文庫
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事前に読んだ本
『フーコーの振り子』といえば、読んだことはなくても「テンプル騎士団に関する(トンデモ)ミステリー」的な小説だということは周知の事実かと思う。なのでテンプル騎士団に関しては調べてから読書を始める方が多いのではないだろうか。私が事前に読んでおいてよかったなと思った本をいくつかあげると、

- 作者: レジーヌペルヌー,池上俊一,R´egine Pernoud,南条郁子
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 2002/08/01
- メディア: 単行本
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これはとにかく絵画や写真などの資料が豊富だった! テンプル騎士団の成り立ちから破滅、まことしやかにささやかれた男色やイスラム教徒の交わりといった神話まで、ことこまかに説明されている。テンプル騎士団が「戦う司祭」から、金と権力を握る財団になる経緯も分かりやすい。何がmythで何が真実かの線引きもきちんとされており、実際の入団式や戒律まで見ることができるのは嬉しい。バフォメットやグラールについても詳しい説明あり。ヘルメス主義(西洋のオカルティズムの源流)についても説明あり。
澁澤龍彦による『手帳』シリーズの1冊、『秘密結社の手帳』。秘密結社とは子供の遊びのように始まるものであると記し、世界中の秘密結社について簡潔にまとめられている。
澁澤龍彦氏自身が膨大な知識をお持ちなので、かなり前に出版された本であるにもかかわらず他では見つからないことも色々と載っていて助かった。『フーコーの振り子』を読む前に 1冊だけ事前準備として本を読めるとすれば、私はこの作品を選ぶ。テンプル騎士団以外に知識として役立った内容としては
1. エジプト起源のイシス崇拝について(世界の女神信仰の礎となっている。『フーコーの振り子』では、マヌーツィオ社の『ヘルメス・プロジェクト』プロジェクト名『ヴェールを脱いだイシス』として出てくる)
2. 薔薇十字団について
『エーコの文学講義』はたまたま手に入ったので読んだのだが、エーコの小説に対する考え方を垣間見ることができた気がする。やっぱりエーコさんは、ボルヘスや百科事典が好きなんだなあと実感し(ゆえの知識の宝庫的小説)、「虚構の物語を読むことを、わたしたちはけっしてやめないでしょう。なぜなら、わたしたちが自分の生活に意味をあたえてくれる方策を捜しもとめるのは、ほかでもない虚構のなかなのですから」という言葉に深くうなずいたり。『フーコーの振り子』についても触れられており、一番参考になったのは
自分の書いた2冊の小説が数百万人の読者の手元に届くという経験をしたおかげで、わたしは、異例ともいえる現象に精通することになりました。一般に、数万部(この数は国によって異なるでしょうが)までは、虚構の約束をきちんと理解している読者に巡り合うものです。それ以降、とくに百万部を超えてしまうと、いわば中立緩衝地帯、つまり読者が虚構の約束に通じている保証のない領域に確実に突入することになるのです。
という記載。
この後は、『フーコーの振り子』第115節、カゾボンが 1984年6月23日から 24日にかけて、深夜パリ国立工芸院を出て最終的にヴォージュ広場へ到達するという箇所を書くため、エーコがテープレコーダーを片手に同じ道程を繰り返し辿ったということが書かれている。
出版後、エーコの元にある男性から手紙が来たそう。男性は1984年6月23, 24日の新聞に目を通し、「カゾボンが辿った道のりでその日火事があったらしい。カゾボンがそれを目的していないのは不自然だ」と主張したとのこと。
虚構の約束を理解できない非モデル読者についてのお話だった。エーコの『フーコーの振り子』に対するスタンスがよく分かったように思う。
『フーコーの振り子』そして『レンヌ=ル=シャトーの謎』を多分に意識して書かれたであろう『ダ・ヴィンチ・コード』。テンプル騎士団の名を現代に知らしめた立役者。
以上です。キリスト教に馴染みのない方は、イエズス会について調べ物をしつつ読み進めると良いかとも思う。
カバラについて
テンプル騎士団やカトリシズム以外に『フーコーの振り子』の核となっているのはカバラである。
本自体が、カバラの「生命の樹(セフィロトの樹)」 それぞれを章のタイトルにかかげているのだ。内容も、セフィラそれぞれに沿ったものになっている。
また、小説自体もヘブライ語の引用らしき文字から始まる。
これは1973年エルサレムのカバラ・センターから出版された、Philip Bergの The Kabbalah: A Study of the Ten Luminous Emanations from Rabbi Isaac Luria with the Commentaries Sufficient for the Beginner Vol. II からの引用だそう。

The Kabbalah: A Study of the Ten Luminous Emanations
- 作者: Philip S. Berg
- 出版社/メーカー: Kabbalah Learning Center
- 発売日: 1973/06
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ちなみに英訳がこちら。
When the Light of the Endless was drawn in the form of a straight line in the Void... it was not drawn and extended immediately downwards, indeed it extended slowly — that is to say, at first the Line of Light began to extend and at the very start of its extension in the secret of the Line it was drawn and shaped into a wheel, perfectly circular all around...
この「全てはつながっている」感。『フーコーの振り子』の一番大事なキーワードかもしれない。カバラは日本では数秘術や『引き寄せ』なんかが結構人気なので、占い好きの方は詳しいのでは。
登場人物 まとめ
1. ガラモン社の人々
カゾボン(語り手):大学時代、テンプル騎士団に関する論文を書いた。その知識を評価され、ベルボやディオタッレーヴィと同じ出版社・ガラモン社で働くこととなる。
ヤコポ・ベルボ:生粋のピエモンテ人。ガラモン社の編集者。PCにアブラフィア(=ヘブライ神秘主義社の一人)という名前をつけ、自身の日常の記録を記す。
ディオレッターヴィ:ガラモン社の編集者。カバラに執着している。
ガラモン社長:学術的な本を出版するガラモン社とは別に、マヌーツィオ社(自費出版ばかりを取り扱う、作家希望者から搾取する詐欺的な出版社)も経営している。
2. 謎多きオカルトラバーたち
アルデンティ大佐:自称元軍人。テンプル騎士団に関する「秘密の計画」を知ったので、本を出版したいとガラモン社にやってくる。
アッリエ:落ち着きのある紳士。自身をサンジェルマン伯爵(不老不死伝説を持つ18世紀フランスの伯爵)だと名乗る。オカルトに造詣が深い。カゾボンとはブラジルで出会い、その後ミラノで再会。
3. 女たち
アンパーロ:大学卒業後、ブラジルへ渡ったカゾボンと恋愛関係にあった女性。ある意味カゾボンと、カンドンブレというブラジルの民間信仰の橋渡し役となる。
リア:ブラジルからミラノへ帰ってきてガラモン社で勤務し始めたカゾボンと恋愛関係になる女性。カゾボンの息子を産む。聖母マリアのような、母性の象徴のような存在。
ロレンツァ:奔放かつ魅力的な女性。ベルボと付き合っているが、アッリエとも知り合いで色目を使っている(使われている?)ようだ。カゾボンもリアと子供をなしつつも、ロレンツァに惹かれている……。
あらすじ
登場人物をまとめたら、あらすじはもう書かなくていいような感じでもあるが、一応。
舞台は1970年代から80年代のミラノ。テンプル騎士団に関する論文を執筆している大学生カゾボンは、とある居酒屋でガラモン社の編集者・ベルボとディオタッレーヴィに出会う。
ガラモン社は、裏でマヌーツィオ社という別の詐欺出版社とつながっていた。ガラモン社に出版を持ち込むオカルト好きの作家志望者たちに、「うちでは出版できないが、マヌーツィオ社での自費出版なら可能だ」と持ちかけるのだ。
カゾボンはそのオカルト知識を評価され、原稿選別作業を手伝うようになる。ある日、アルデンティ大佐という人物が訪れ、テンプル騎士団に関する秘密を知ったので本を出版したいという。消滅したと言われているテンプル騎士団は秘密裏に続いており、 西暦2000年にグラール(聖杯)を手に入れ復活すると、アルデンティ大佐は力説する。出版を検討するとベルボが告げるとアルデンティ大佐は出版社を去るが、その後行方不明となる。
カゾボンはその後、学業に専念しガラモン社とは疎遠になる。また、ブラジルへ赴き数年を過ごす。ブラジルでも、地域のオカルト信仰に触れ、テンプル騎士団とのつながりを発見し、アルデンティ大佐の亡霊が追いかけてくるように感じる。
その後ミラノへ戻ったカゾボンは本格的にガラモン社で働き始める。カゾボンと同僚のベルボ、ディオタッレーヴィはアルデンティ大佐に聞いたテンプル騎士団の「計画」が忘れられず、調べ物をするうちに次第に魅了されていく。そして冗談のつもりでその物語の続きを書く。
しかし、まるで虚構が現実となるような出来事が彼らを襲う……。
エーコによる「壮大なジョーク」
一言で言ってしまえば、壮大なジョークだというのが私の感想だ。
最初の章から、自身の博識を頼りにベルボの残したPCへログインしようとするカゾボンの様子はどこか滑稽である。トンデモな登場人物たち(アルデンティ大佐など)が出てくるとその傾向はますます顕著に。
しかしながらエーコの厖大な知識に裏打ちされたそのジョークは、ジョークであることを通り越して新たなオカルト神話を生み出している。というところが、まさに小説の内容とリンクしているという入れ子式構造のようで、味わい深い。
ちなみにエーコは若かりし頃カトリックへの信仰心が揺らぎ、宗教と距離を置いたと言われている。それでもイタリア生まれ&育ちだから、カトリックの考え方はエーコの中に深く根を張っているのではないだろうか。宗教への疑問や批判、それでも離れられないジレンマなどを全て入れ込んだような小説だった。
カゾボンはもちろんベルボやディオタッレーヴィは、オカルト信仰を嘲るような、おちょくるような態度をとっているが、彼らはエーコの分身ともいえる存在だろう。
ベルボはエーコと同じくピエモンテ出身。ピエモンテ人は「人の下手に出るように見せて、その人のことを小馬鹿にしているのを気取られないようにうまくおちょくる」みたいな描写や、他の人が理解できないピエモンテの方言で喋る描写(本当は「ばかばかしい!」と言っているのに、さも驚いたかのように言うのでアルデンティ大佐は自身が認められていると思ってしまった)がある。日本でいう、京都人にかなり近いイメージなのではないだろうか。Stereotypicalな視点で申しわけないが、よく出てくる京都のいけずエピソードを思い出してしまった。
*京都で隣人に「坊ちゃん、ピアノ上手にならはったなあ」と言われた場合適切な返しは……「やっぱり聞こえてましたか、ご迷惑をおかけしまして」であるという。
ディオタッレーヴィ(神が汝を育まんことをという意味)は捨て子につけられる名字であり、彼の祖父は捨て子ということになっている。その関係もあり、カバラやユダヤ教大好きなディオタッレーヴィは祖先はユダヤ人だったかもしれないと妄想を膨らませているのだが、エーコ自身の祖父も捨て子だったそう。エーコ(ECO)はEx Caelis Oblatus(ラテンで「天からの贈り物」)の頭文字をとってつけられた、孤児によくある名字だということだ。ディオタッレーヴィと同じような妄想を、エーコも子供の頃していたのかもしれない。
知識の集大成
記号学者のエーコにしか書けない作品、だと思う。
が、しかし。この本を読んでいて私が実感したのは、インターネットの偉大さだ。1988年の出版当時は、PCがそれほど流通しているわけでもなく、読者の方はそれはそれは苦労して読み進めたのではないだろうか。百科事典や色々な本を手元に置き、行きつ戻りつして読んだのでは。
それに比べて現代の読者は、インターネットさえあれば事前準備は必要ないと思う。なんでも一瞬で調べることができるのだから。
この小説ではアブラフィアというPCが大きい役割を担っているが、インターネットに関してもエーコは先見の明を持っていたのだと感じる。
ちなみにエーコは1997年に、Web2.0やTinder、デジタル・リテラシーについて予言をしており、これが20年後の今ほとんど実現しているのだ! 驚きを禁じえない。
こういった未来や、インターネットにより読者層が広がることも想定して書かれた小説……というのはさすがに大袈裟かもしれないが、エーコだけにそのようなことも頭に入れていたのかもしれない。
なにはともあれ壮大な物語の中に身を浸すのは楽しかった。
それではみなさま、happy reading!