トーキョーブックガール

海外文学や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

Washington Black / Esi Edugyan(エシー・エドゥージャン)

(ワシントン・ブラック)

2018年ブッカー賞のショート・リストに残ったWashington Black。一言で言うと、「楽しい時間をありがとう!」と感謝したくなるような一冊だった。

あまりに面白すぎて、数ある積ん読を差し置いてあっというまに読んでしまった。仕事もたまっていたので、余計に夢中になってしまったような。どうきてやることがたくさんある時に限って、本を読みたくなるのでしょう。

Washington Black: A novel

Washington Black: A novel

 

「ワシントン・ブラック」とは、主人公/語り手の男性の名前である。奴隷として人生を始め、自由な男として読者に別れを告げる男。

 物語は1830年のバルバドスから始まり、その6年後のモロッコで幕を閉じる。人生の中のたった6年の物語なのに、読み終えるとまるで誰かの一生について学んだような気がしていた。それだけ丁寧に、ワシントンや彼に関わる人々のことが書き込まれているからだろう。

あらすじについて書きたいのだけれど、ネタバレになってしまいそうなところが前半からいくつも出てくるし、中身を知らないまま読んだ方が絶対に面白い小説なので、私のお気に入りポイントを書き連ねることにする。

 

なめらかな語り口

語り手は主人公のワシントン(愛称はウォッシュ)、一人称である。これがかなり雄弁なのだ。登場した時はわずか12歳、身寄りのない奴隷。バルバドスの大農場で働いており、ビッグ・キット(Big Kit)という女性の奴隷を母のように慕っている。ビッグ・キットも、ひとりぼっちで頼りないワシントンを可愛がり、時には仕事を肩代わりするなど献身的に面倒を見ている。そんな中農場主が亡くなり、彼の甥であるエラスムス・ワイルド(Erasmus Wilde)が代わりにイギリスからやってくる。この若き男性の奴隷たちに対する残酷で非情な仕打ち、自殺をも覚悟するビッグ・キット、ひょんなことからエラスムスの弟であるクリストファー・ワイルド(愛称はティッチ / Titch)に引き取られ難を逃れるワシントン…。のっけから物語にのめり込んでしまうような、魅力的なナレーションが続く。

あまりに魅力的なので、首をかしげたくもなる。教育を受けなかったはずの奴隷ワシントンが、なぜこんなにも美しい物語を語れるのか?

そう思ったところで突如追憶という名の種明かしがあり(第一部・第三章という冒頭部分で)、

I have walked this earth for eighteen years. I am a Freeman now in possession of my own person...my first master named me, as he named us all. I was christened George Washington Black- Wash, as I came to be known...All this was before my face was burnt, of course. Before I sailed a vessel into the night skies, fleeing Barbados, before I knew what it meant to be stalked for the bounty on one's scalp.

 Before the white man died at my feet.

 Before I met Titch.

私がこの地球に生を受けて18年になる。今は、自己に責任を持つ自由の身だ……最初の主人が、他の奴隷と同じように、私にも名前をつけた。ジョージ・ワシントン・ブラック。のちにウォッシュと呼ばれるようになった……これはもちろん、私が顔にやけどを負う前のことである。飛行船で夜空に飛び立ち、バルバドスから逃げる前のことだ。賞金目当てに追いかけ回されるようになる前のこと。

白人が私の足元で死ぬ前のこと。

ティッチに出会う前のことだった。

なるほど、後に読み書きを学ぶことができたのだな、様々なことが起こりウォッシュの人生は変わっていったのだなという心構えができるとともに、この美しい一人称の物語に納得してどっぷりとこの世界に入っていけるようになる。

 

ディケンズのようでいて、現代的なストーリー

読み始めてすぐに感じたことは、まるでディケンズを彷彿とさせるストーリーだということ。過酷な環境で生まれ育った少年が、ひょんなことから「奴隷」としてではなく「科学的実験のアシスタント」兼「友人」として扱ってくれる年上の白人男性に引き取られ、一緒に飛行船を作り、飛ばすことに夢中になる(この辺りは、『十五少年漂流記』や『ハックルベリー・フィンの冒険』っぽくもある)。

そのうちに、少年には

And suddenly I knew that I wanteddesperately wantedto do it too: I wanted to create a world with my hands.

突然、私も狂おしいほど同じことがしたいのだと気がついた。自分の手で、世界を作り出したかった。

と、絵を描くことへの情熱が目覚め、それは彼の運命を大きく変え、北米からイギリス、オランダ、モロッコへ旅立つことにつながっていくのだ。

そこまでの紆余曲折や、登場人物が皆特徴的で、少年は虐げられることもありつつ、様々な人から愛を学んで成長するという筋書きがかなりディケンズのようだった。

ディケンズといえば稀代のストーリーテラー。Esi Edugyanの場合は、面白さはそのままに、人間の割り切れない感情や潰えるであろう夢を諦めきれない哀しさ、不平等への怒り、解決されない問題などを残して物語が終わるところが非常に現代的で新しい。

 

奴隷たちの生活と会話 

カリブ海での奴隷制度は18世紀前半に廃止されるので、ウォッシュが奴隷なのも前半だけだ。おまけに後半は冒険譚となり、白人や混血白人(タンナという女の子、母はソロモン諸島出身)とのやりとりがほとんどになるのだが、前半で垣間見れる奴隷の生活や、そこで交わされる会話も興味深かった。 

年上の奴隷が繰り返し語る「奴隷は死ぬと、故郷であるアフリカの土地(homeland)によみがえり、自由に生きることができるようになる」という話を読むと、宗教とは過酷な生活に耐えるために生まれたものなのだなと実感できる。

この"homegoing"の話というのは、アフリカもしくはアフリカ系の人物を描いた小説ではよく出てくるもので、『カラーパープル』でも読んだ記憶があるし、

カラーパープル (集英社文庫)

カラーパープル (集英社文庫)

 

『奇跡の大地』の原題はそのまま"Homegoing"だった。 

奇跡の大地

奇跡の大地

 

多くの奴隷と同じく故郷を持たない幼きウォッシュは「僕には帰る場所がない。僕はこの農場しか知らない」と落ち込むのだが、ビッグ・キットが「じゃ、あんたはあたしと一緒にダホメ(ダホメ王国)に戻るんだよ」と安心させる。その後何度か生死の境をさまよった時には、必ず「ここはダホメ?」と言いながら起き上がるウォッシュの姿が描かれていて、なんとも言えない気持ちになる。

 

作者について 

Esi Edugyan(発音はエシー・エドゥージャンに近いと思うのだけれど、どうだろう)はガーナ人移民の両親を持つカナダ人作家で、アルバータに暮らしている。若干40歳で本作は3作目。2011年にはHalf-Blood Bluesという作品もブッカー賞にノミネートされている。

Half-Blood Blues

Half-Blood Blues

 

出版社によるインタビューでは、Edugyanはこう語っている。

In Canada we are seeing more stories from previously unheard voices. I do think we can do better, and that many writers are still struggling to be heard. But it is a complicated and nuanced problem, and one that is made more complicated by the different cultures in the English-speaking world. An American friend of mine, a novelist, speaks for instance of the great divide she feels in her country between what she calls "different shades of black." She has the sense that African American voices are being ignored in favour of immigrant African voices. In Canada I grew up with almost no African Canadian writers to emulate; my models came from abroad. That is changing now, slowly. My own feeling is that the rooms of literature are vast and deep, and we would do well to linger in them.

カナダでは、新たな層や世代の作家による作品が増えてきました。もっと増えるといいと思いますし、多くの作家が自分の声を聞いてもらおうと闘っています。でもそこには複雑で微妙な問題が、英語圏における異なる文化によって生まれた問題があります。アメリカ人の友人(作家)は、アメリカでの大きな危機についてこう言いました。黒人の中でも、「『黒』の種類には色々ある」のだと。アフリカ系アメリカ人の声は無視され、アフリカ移民である作家ばかり重要視されていると感じるというのです。私はカナダで育ち、周りにアフリカ系カナダ人の作家は存在しませんでした。見習うべきモデル・メンターは海外の作家ばかりでした。それも今ではゆっくりと変わりつつあります。文学のスペースは広く深く、この場所に漂うことでいい結果が生まれると感じています。

 

ブッカー賞の行方は? 

2018年ブッカー賞ロングリスト(その後、ショートリストにも)に選出されたからという理由で読み始めたこの小説だが、あまりに面白かったので、いつも私が知らない作品を紹介してくれるブッカー賞にも感謝の気持ちでいっぱいである。

www.tokyobookgirl.com

黒人作家による奴隷の逃亡を描いた小説、といえば真っ先に2017年ブッカー賞ロングリストにノミネートされ、ピューリッツァー賞を受賞した『地下鉄道』が頭に浮かぶ。

地下鉄道

地下鉄道

 

 こちらは奴隷少女が新天地を求めて逃げる物語で、三人称である。SFという手法を使い書かれているのだが、ミステリー小説としても楽しめる作品だった。もちろんアメリカの文学賞を多数受賞しているのだが、ブッカー賞ショートリストにノミネートされなかったのは、ブッカー賞が「ストーリーテリング」の素晴らしさよりも、どちらかというとイギリスの血を引く文学らしさ(それがなにか、と問われるとちょっと言葉にできないのだけれど…)を好む傾向があるからかなと感じる。

その点、Washington Blackはブッカー賞ジャッジ好みだと思うのだが、どうなるだろうか。

ちなみに、2018年ギラー賞(スコシアバンクがスポンサーを務めるカナダの文学賞)ロングリストにノミネートされていることの方が気になってきた。最近全然ギラー賞の動向を追っていなかったのだけれど、ノーベル賞代わりの文学賞にノミネートされたキム・チュイの最新作も入っているし、読みたいと思っていたパトリック・デウィットのFrench Exit(表紙が可愛すぎ!)も選ばれている。こちらは、10月1日にショートリスト発表。楽しみです。

Vi

Vi

 
French Exit: A Novel

French Exit: A Novel