トーキョーブックガール

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The Water Cure / ソフィー・マッキントッシュ

 2018年のブッカー賞ロングリストにはディストピア小説が複数ノミネートされていて、興味を持ったのがこちら。ジャンルでいうとフェミニスト・ディストピアで、『侍女の物語』やHot Milkのファンには特におすすめという書評をいくつも見かけた。

The Water Cure: LONGLISTED FOR THE MAN BOOKER PRIZE 2018

The Water Cure: LONGLISTED FOR THE MAN BOOKER PRIZE 2018

 

[第一部] 

 時代も場所も分からぬまま始まる物語。語り手は三人姉妹のグレース、リア、スカイ。男は怖い生き物だ、と教え込まれて育った。

  環境汚染が進み毒にまみれた本土を離れ、清らかな海に囲まれた孤島で父(King-キング)と母(Mother)と暮らしているのだが、ある日キングが死ぬ。

 今まで定期的にボートで本土と島を行き来し、生活必需品を購入していたキングがいなくなり、姉妹たちは途方にくれるが、母の監視のもと今まで行ってきた儀式や習慣は崩さない。水で自分を癒すこと、互いの愛を試すためにカエルやネズミを殺すこと。キングと母は独自の伝統を作り上げており、これは姉妹たちが知る全世界なのだ。

[第二部]

 ところがある日、島に三人の男が上陸する。二人の成人男性と一人の少年だ。女たちは男が武器を持っていないことを確認したのち、家に入れ食べ物を分け与えることにする。母は、姉妹たちに近づかないように・二人きりにならないようにと男たちに念を押す。しかしリアは男の一人・ルーと恋に落ち、関係を持つようになる。

 

 大体のあらすじは上記の通り。

 タイトルの通り、水が重要なモチーフとして使われており、姉妹たちは汚染されていない水に守られてきた。まるで羊水に漂う胎児のように。固く閉じられた世界で生きてきた姉妹が、父を失い、よそ者を受け入れたことによって広い世界があること・それでも姉妹の、女の絆に勝ることはないということを知るというのが、まるっとまとめた概要。

 第三部まであるのだが、第一部と第三部は極端に短い。どちらも、長女グレースと次女リアが交互に語り手となっている。グレース・リア・スカイ三人の視点から語られる章もある。これを読んだ後では、リアのみが語る第二部は若干冗長なイメージを受ける。

 グレースは姉妹に対しても秘密を抱えているという女性で、今は亡きキングに「あなたは〜だった」と語りかけるスタイルをとる。一方リアは自分の気持ちに忠実で、侵入者である男たちと誰よりも早く親しくなる。グレースの影のあるナレーションが魅力的なので、余計に第二部が凡庸に感じられたのかもしれない。

 

 そして、この小説の中の「家族」観・フェミニズム論はまるで1970〜80年代のよう。なんというか、現代作家によって2018年に書かれた小説という雰囲気がまるでないのである。これがすごく不思議だった。「男女」観もそうだ。「女は泣いて騙そうとする、男は嘘をついて責任逃れをする」、こういうセリフが、語り手・リアが傾倒する男性から発せられるということにわだかまりを感じる。愛や欲望を汚らわしいものと考える女たちの態度にも。まあこれは、小説内での女性の抑圧を表すエピソードなのかなあ。ただ、フェミニズム云々という前に、本作品の根底に作者自身の男性嫌悪が感じられるようなシーンがいくつもあり、それが気にかかった。

 物語は抽象的に始まり、抽象的に終わる。環境汚染がどうこういわれているが、これが本当のことなのか、キングと母の嘘なのかも分からぬまま。母が娘たちにこう語るシーンもある。

Even if it is a failed utopia, at least we tried.

 つまりはうまく機能できなかった核家族の話がメインなのだ。 

 

 これが著者の一作目ということを考えると、今後の作品はどういう方向性になるのかも、楽しみ。ちなみに作者のマッキントッシュ自身はアトウッドの作品などではなく、ソフィア・コッポラの映画『ヴァージン・スーサイズ』から影響を受けたとインタビューで語っており、さもありなんと感じた*1。世界観はこちらに近い。ある意味での青春の終わりに耐えられなかった娘たちの物語。

 

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