トーキョーブックガール

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不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か?『菜食主義者』とThe Vegetarianを読んでみた

[채식주의자]

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か?

みなさんはどちらがお好みですか?

もちろん、翻訳の話です。

上記はロシア語の同時通訳者だった米原万里の著書のタイトルで、「美しいけれども原文からはかけ離れた文章(美女)をとるか、原文に忠実だが聞くに堪えない文章(ブス)をとるか」という意味。

もちろん、一番いいのは貞淑な美女。だが、貞淑な美女が常に手に入るとは限らない。翻訳も同様で、翻訳者は様々な要素・オプションを検討しながら仕事を進める。

これは2016年にブッカー賞を受賞したハン・ガンの小説The Vegetarianの英訳が誤訳だというニュースを聞いた昨年、よく頭に浮かんだ文章だった。

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

 

 

 

英訳者デボラ・スミスへの賞賛と批判

この騒動について一番わかりやすくまとめてあるのは、ガーディアンの記事だろう。

Lost in (mis)translation? English take on Korean novel has critics up in arms | Books | The Guardian

事の発端はニューヨーク・タイムズのレビュー。作家/翻訳者のティム・パークスが、ブッカー国際賞を受賞したハン・ガンの『菜食主義者(の英訳)』について批判的に書いた書評である。

Raw and Cooked | by Tim Parks | NYR Daily | The New York Review of Books

パークスの書評を要約すると、 

私は(そしてブッカー賞の選考委員たちも)韓国語が分からないので、英訳の内容とスタイルのみを評価せざるをえないのだが、

・第1部の「菜食主義者」は文章が固く、まるで19世紀当時のチェーホフ作品の英訳を読んでいるよう。

・第1部の語り手にはあまり感情がなく表現は乏しいが、語り手の妻が手首を切るときには"blood ribonning"のような華麗なメタファーが突然現れる。この語り手がこのようなメタファーを使うのは違和感がある。

全体的にとてもエレガントとは言えないし、メロドラマチックな展開にはがっかりした。

という意見。ティム・パークスはイタリア女性と結婚したのちイタリアに移住し、カルヴィーノやタブッキなどの作品の英訳を手掛けている作家である。

Translators are people who read books for us.*1

翻訳者とは、私たちの代わりに本を読んでくれる人々である。

と発言することもあり翻訳については一家言ある人物だが、韓国語は分からないので原作を責めるべきか翻訳者を責めるべきかは判断できないとしていた。

その後、原作&英訳を読み比べた人々からは「第1部の10.9%が誤訳で、オリジナルの文章の5.7%が削除されている=責めるべきは翻訳者では」という報告があった。このニュースを聞いた(お国柄で割と翻訳書を読み慣れている)日本人の多くは、翻訳者によって文体や雰囲気が変わるのは当然のことなのだし、一字一句照らし合わせて評価するというのは悪趣味だなと感じたのではないだろうか。

が、なんとこの英訳には腕(pal)と足(bal)、寝室と居間を取り違えるような初歩的なミスも見られるというのである。韓国語は日本語と同じく主語を省略する言語だそうなのだが、それもあって英語訳では主語の取り違えも多いらしい。

Deborah Smith's Flawed Yet Remarkable Translation of "The Vegetarian"

Han Kang and the Complexity of Translation | The New Yorker

韓国の小説が世界的権威ある賞に輝いたのは、“誤訳だらけ”の...|レコードチャイナ

この本は「美しく書かれており」「エレガント」、「詩的」、「魅力的」だとしてブッカー国際賞を受賞したが、原作はシンプルな文体で組み立てられた小説で、結局原作が評価されたのではなくデボラ・スミスによる超訳(韓国語の理解不足による過剰なtranscreation)が受賞の要因だったのだ…とのこと。

イギリス人であるデボラ・スミスが韓国語を学習し始めたのが翻訳開始のたった3年前だった(それまではモノリンガル)という事実にも怒りの矛先が向けられており、「韓国は英語教育にものすごいお金をつぎ込んでいるのに、まともな翻訳家がいない」という意見もあるそうな。

これに関しては、Translation Studiesなどで翻訳を学べばすぐに分かることで結局翻訳先の言語が強い者が翻訳者としては優れているのであって、そういう意味ではデボラ・スミスという選択は正しいはずだ。語学の学習期間も長ければ長いほどいいというものではない。

随分大騒ぎになっているなと感じていたのだが、2018年度のブッカー国際賞には再びハン・ガンの新作The White Book(『白い』)(翻訳者は同じくデボラ・スミス)がノミネート。

2018年 ブッカー国際賞ショート・リスト - トーキョーブックガール

一方で酷評され、もう一方では高く評価されている作品&翻訳というのはどういうものか、と興味が湧き日本語訳の『菜食主義者』と"The Vegetarian"を読み比べてみた。 

 

『菜食主義者』と"The Vegetarian"

私は韓国語が読めないので、日本語訳と英語訳を読み比べたまでである。原文を読むことができないので、それぞれの翻訳者によって手が加えられた作品を読んだのであり、どちらも原作が意図するものやニュアンスからはかけ離れている可能性もある、ということを先に断っておく*2

まず日本語訳の感想だが、文体は非常にシンプルで凪のように静かな印象。ヨンへが手首を切ったり、ヨンへと義兄が関係を持ったりと衝撃的な事件が立て続けに描かれるのだが、登場人物が皆かなり受動的なことや同じ言葉が繰り返し使われるというスタイルも相まって、全ての出来事に薄いヴェールがかかっているようである。

草食系か肉食系か、と問われるとそのタイトル通り草食系の作品。

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

 

対して英語訳は確かに華やかだ。ボキャブラリーが何倍にも広がり、シンプルな一文も飾り立てられている。イギリスらしい言い回しも散見される。日本語訳と明らかに違うと感じたのは、日本語訳ではあれほど受け身だった登場人物たちが能動的に動いていること。「なぜかと尋ねた」*3だけのはずなのに英語では"I chose to confront her"とconfrontしちゃってたりする。初めてヨンへに会ったときに「気に入ったな、姉妹で似ているところも多いのに微妙に感じが違うな」とぼんやりと感じる(そもそも何においてもmediocreを好むはずの)義兄が"Huh, now she's my type"とはっきり宣言してしまっていたりする。

ただ、英語圏の読者にはこれほどまでに受動的な登場人物ばかりが出てくる小説は支持されないのではないか。スミスが行った「修正」はより多くの読者の獲得につながったのではないだろうか。

The Vegetarian: A Novel

The Vegetarian: A Novel

 

英語訳を読むと確かに誤訳誤訳と批判されるだけの取り違えや省略、付け足しが目に付いた。なんと数字の間違いもあった…。いちいち指摘するのは野暮だが、一点だけ気になったことを。

この小説に登場する姉妹インへとヨンへはよく似ているのだが、姉のインへは

二十歳頃にしたという二重まぶたの手術がうまくいって、妻の目は深くぱっちりしていた。

という設定。対して、妹のヨンへは「一重の目」で、インへと比較すれば「器量のよくない」女性とされている。

だが!英語版では「ヨンエの一重まぶた」という箇所は抹消されている部分も多く、なんと姉のインへは

her eyes were deep and clear, framed by naturally double eyelids

と「天然の二重」ということになっているのだ(上記日本語にあたる部分)。

これは日本語版では何度も執拗に繰り返される描写で、「整形手術をして明るい印象を手に入れ、周囲の人にも好かれて化粧品店というビジネスで成功している」「父や夫といった周囲の男性に気に入られるよう努力してきた」姉と、「ありのままの姿で生きてきて申し込まれるまま結婚した」妹の人生の比較として必要な要素だと思うのだが。

 

原書と翻訳書は全く違うものか?

上記の通り、日本語訳と英語訳それぞれを読んで持つ印象はかなり異なっていた。

誤訳騒動が巻き起こるのも納得。

日本語訳と比較して読むと、英語訳では翻訳者が韓国語で書かれたものが理解できなくて自分らしい解釈を加えてしまったのだろうな…と明らかに分かる部分も多かった。

でもそれがうまく煙に巻かれている(?)というか、華やかな文章でカバーされており、結果として随分と詩的な世界観を作り出している。チェーホフのよう、ディケンズのよう、と評される理由がよく分かる。

これほどの間違いはプロの翻訳者としてありえないと思う一方で、今まで英語圏でそれほど読まれていなかった韓国文学をブッカー国際賞を受賞するまでにプロモートしたスミスの功績は大きいとも思う。なんとも複雑。

個人的な結論としては下記の通り。

作品の印象は異なることはあれど、その作品のエッセンス、作家が一番書きたかった部分(この作品でいうと韓国社会における女性の抑圧だろう)は何語に翻訳されようが消えることはないのではないか。

もちろん各国の文化の違いもあり、翻訳者は作品がより受け入れられやすいように努力して作業を行う必要がある。

例えば翻訳本を読みなれている読者が多い日本ではある程度「貞淑な醜女」な文章でも受け入れられやすいと思う。反対に英語圏では「不実な美女」でないとそもそも読まれる機会が非常に少ないのかもしれない。

あとは、作家本人の翻訳に対する意見も反映されるべきである。

例えば、ナボコフとボルヘスはどちらもマルチリンガル作家だが、翻訳に対する意見は正反対だった。

イギリスで出版された『暗箱』のウィニフレッド・ロイによる英訳を読んだナボコフは激怒し、ロイの翻訳が「ずさん(sloppy)」で「間違いばかり(full of blunders)」だと指摘。アメリカで出版する際にはナボコフ自身が「自作翻訳」を手がけることになる*4

一方、ボルヘスにももちろんそうするだけの能力はあったものの、彼は「すべて翻訳者に任せたい」という姿勢を貫いた。

今回の騒動については、作者のハン・ガン自身が「スミスとは何度も会話し、英語版にもOKを出した」と語っているし、最新作の翻訳者としてもスミスを選んでいる*5。これでいいとするハン・ガンの決断があるのであれば周りがどういう言う必要はないとも感じる。

 

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*1:Gained in Translation | by Tim Parks | NYR Daily | The New York Review of Books

*2:ただし、上記の記事と日本語訳を照らし合わせるに、日本語訳はかなり原文に忠実だと感じた。

*3:上記記事によると、これは韓国語でもそうらしい。

*4:How Nabokov Retranslated “Laughter in the Dark” | The New Yorker

*5:ちなみに日本では、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の邦訳が誤訳だらけだというファンによる批判の声がピーター・ジャクソン監督に届き、翻訳者が交代となったということもあった。