トーキョーブックガール

海外文学・世界文学や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『闇の左手』 アーシュラ・K・ル=グウィン

[The Left Hand of Darkness]

アーシュラ・K・ル・グィンの作品といえば、なんといっても「映像化にことごとく失敗している」ことが思い浮かぶ。

「失敗」の定義は色々あるので、あくまで私の個人的意見だが

・興行的に振るわない

・作者自身に酷評されている

・原作ファンからも酷評されている

 の三つが揃えば、原作ありきの作品としては失敗と見なされるのではないだろうか。

2004年にリリースされたミニシリーズのEarthseaも然り、2006年に封切られたスタジオジブリによる『ゲド戦記』も然り。

家族揃ってル=グウィンのファンなのだが、当然誰も上の二つを観ていない。それどころか、映像作家「独自の解釈がなされている」という事前情報に対して激しい憤りを感じていた。

さて、先日Literary Hubで「まだ映画化されていないクラシック文芸作品と、私たちが考えるキャスティング」という記事があり、『闇の左手』が取り上げられていたので、そんなことを考えてしまった。

lithub.com

 

『闇の左手』

ル=グウィンによるSF作品の代表作といえる『闇の左手』。

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))

 

大きい意味での「外交」の物語である。

ベトナム戦争真っ只中の1969年に発表されたことを鑑みると、米露関係がこの作品に多大なる影響を与えているのではないだろうかと考えたくもなる。

主人公のゲンリー・アイは、地球から惑星〈冬〉のカルハイド王国へ使節として送られ、首都エルヘンラングに二年間滞在している。彼の目的は地球とカルハイド王国間の国交(星交?)を成立させることだ。

しかし国王と交渉することがままならぬうちに、自分の味方だったはずのエストラーベン卿が失脚し、ゲンリー・アイも命を狙われていることが判明する。ゲンリー・アイはオルゴレイン共和国へ逃げ込むのだが囚われの身となり、エストラーベンに救い出される。二人は雪と氷の中、自由を求めてひたすら旅を続ける……。

 

惑星〈冬〉の人々は、皆両性具有である。普段は男か女か区別のつかない外見をしていて、ケメルと呼ばれる発情期にのみ、どちらかの性になり、異性になった者と愛し合う。一人の人が男になることもあれば女になることもあるので、子供を生むこともあれば、別の相手と一緒の時は相手の方が子供を生む、なんてこともありうる。

そういう特殊な設定からも、フェミニズム(もしくはLGBTQ)SF小説として分類されていることが多いように思うが、どちらかというと「外交ひいては他者と分かり合うことの難しさ」、そして「部外者として生きる者の孤独」をひたすら語りかけてくる小説だと私は考える。

フェミニズムも、SFも、ジャンルをちょっと拝借しているだけという感じで、「らしさ」があまりないのだ。宇宙が舞台となっているものの、SF的設定にはほとんど重きを置いていないし、「女性は〜」とか「男性は〜」という話でもない。

 

それよりも、自分とは全く異なる生き物が支配する惑星へ一人きりで赴き、言葉はどうにか話せるものの、彼らの思考回路が理解できないために色々と空回りをした挙句逮捕され、一度は敵かと思った相手に救い出され、その相手と心を通わせるという、一対一のコミュニケーションがここまで美しく描き出されているのが素晴らしいと思うのだ。

ゲンリー・アイの勇気もさることながら、偏見のない眼で彼の魂を見定めるエストラーベンの賢さが心を打つ。なにしろ、ゲンリー・アイはずっと男の容姿をしているので、年中ケメルの「性的倒錯者」扱いされているし、雪国においては異常な肌の色をしているし(ゲンリー・アイは黒人)で、まともに取り合う人は他にいない。 

友人。どんな友人も新月になれば愛人に変わってしまう世界において、友人とはなにか? 私は男性という性に閉じ込められているから友人ではない。セレム・ハルスにとっては友人でもないし、彼の種族のだれにとっても友人ではない。男でも女でもない、そして男であり女である彼ら、月のめぐりにより周期的に手を触れあうだけで変態をとげるもの、人間のゆりかごの中の取り替え子である彼らは、私の肉親でもなく友人でもない。われわれのあいだに愛は存在しない。

訳について一つだけ、自分の思ったことを。エストラーベンを表す"he"なのだけれど、これは文中でも「神を"He"とするように、性別ではなく人物であることを表すための"He"だ」と説明されている。

英語では性別を特定する代名詞を使わざるを得ないので仕方がないにしても、その辺りがより自由な日本語だったら、わざわざ「彼」とするのではなくて「エストラーベン」とか、「あの人」とかにしてほしかったなと感じた。聖書の日本語訳でもさすがに「彼」とは書かずに、「神」、「主」とされているのだし。もちろん、これが1970年代に日本語訳された本で、私が2010年代の今に生きる読者だからこそ、そう思ったのかもしれない。

 

映像化とか、男性のスーツとか、犬とか

さてさて、映像化にことごとく失敗している云々と書いたものの、上述のLithubのキャスティングはさすがです。

ゲンリー・アイ役に「次期ジェームズ・ボンド」とも噂されているイドリス・エルバ、エストラーベン役に『ナルニア』映画化で白の魔女を演じたティルダ・スウィントン。

うんうん! この二人なら、私も観てみたいかも……。

それにしても、イドリス・エルバってスーツの着こなしがめちゃくちゃ格好いい。今、映画界で一番スーツを素敵に着こなしているのはダニエル・クレイグだと思うのだけれど、次点は絶対にエルバ。

ということで、次期ボンド候補は色々出ているが、エルバが圧勝だと信じている。

二人ともオーソドックスな黒や紺、グレーのスーツなのに、肩幅や丈がピタリと合っていてとにかくオシャレ。クレイグさんだと、トム・フォードのスーツとクロケット&ジョーンズのアンクルブーツやジョン・ロブのチャッカの合わせ方とか、ネクタイの柄・幅とか。我が夫もオーソドックス派の靴マニアなので、プレゼントを選ぶ際はかなり参考にしています。

それから、二人とも犬と戯れている写真が素敵すぎる〜! このポメラニアンを抱っこされているエルバ様の記事(かなり昔のだけれど)なんて最高だし、

www.stereogum.com

これなんて、「犬もウットリ」とか書かれていて笑う。

www.laineygossip.com

クレイグ様はこれまた素敵なスーツをお召しになって、レトリバーの子犬にメロメロになってるし。

www.dailymail.co.uk

はぁ〜。眼福眼福。

って、なんのこっちゃな話になってしまった。

そろそろ、子供の頃の愛読書『ゲド戦記』も再読したい。

影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫)

影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫)

  • 作者: アーシュラ・K.ル=グウィン,ルース・ロビンス,Ursula K. Le Guin,清水真砂子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2009/01/16
  • メディア: 単行本
  • 購入: 6人 クリック: 27回
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2018年1月に惜しまれながらこの世をさったル=グウィンだが、同時期にエッセイ集が出版されていた。それがこちら。彼女のブログのポストや詩から成り立っているそうで、これも読みたいと思っている(ちなみにブログでは、可愛いハチワレ猫・Pardさんの写真もたくさん見ることができる)。

No Time to Spare: Thinking About What Matters (English Edition)

No Time to Spare: Thinking About What Matters (English Edition)

 

みなさま、今夜もhappy reading!