トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『マンゴー通り、ときどきさよなら』 サンドラ・シスネロス: 出ていきたいと願っていたあの場所のことばかり思い出す

[The House on Mango Street]

 白水社の新書として今年生まれ変わった『マンゴー通り、ときどきさよなら』。やっと読めた。

マンゴー通り、ときどきさよなら (白水Uブックス)

マンゴー通り、ときどきさよなら (白水Uブックス)

 

 くぼたのぞみさんは、アディーチェの翻訳と「あとがき」から見られる作家&作品へのあふれんばかりの愛がとても素敵で、大好きになった翻訳家さん。そんな彼女が手がけた一押しの作品となれば読まないわけにはいかない。

 "A las mujeres(女たちへ)"という言葉から始まるこの作品は、おそらく作者自身をモデルにしたと思われるメキシコ系移民の女の子が主人公である。名前はエスペランサ(Esperanza)で、スペイン語では「希望」という意味。とても美しい名前なのだけれど、

スペイン語では文字がだらだら続くことば。それは悲しみという意味、待つことって意味。まるで数字の九とか、さえないくすんだ色みたい。父さんが日曜の朝、髭を剃りながらかけるメキシコのレコードの、すすり泣くような歌みたい。

と本人は気に入っていない。この言葉で、両親の故郷であるメキシコのことをどう思っているかもなんとなく分かってしまう。

学校ではみんな、わたしの名前がおかしいって、音節がブリキでできてるみたいで、口の上あごのところが痛くなるっていう。でも、スペイン語で発音すれば、わたしの名前はもっとソフトなもの、たとえば銀なんかでできてるって感じがする…… 

 文化と言語の間で生きる子供の常として、エスペランサも常に英語とスペイン語、アメリカとメキシコの違いを意識しながら育つのだ。

 彼女が暮らしているのは移民だらけの地区のマンゴー通りというところで、周りの人々も同様に決して余裕があるとはいえない生活を送っている。大学へ行っているアリシアというお姉さんについて、エスペランサは「そんなのってこの辺じゃはじめて」とコメントしているくらいだ。

 この作品はビネットになっていて、スケッチのような短いたくさんの章で成り立っているのだが、いつまでも心に残る印象的なエピソードにこそビネットという形態はふさわしいのだなと感じる。警察に捕まった友人の従兄、プエルトリコにいる恋人のために一生懸命働く女の子、古い靴を見られることが恥ずかしくてダンスできなかったエスペランサ、「ハムエッグ」以外の英語が分からなかったからアメリカに来て数ヶ月ハムエッグを食べ続けた父さん……。それぞれがまるで自分自身の思い出のように、心のひだに入り込んでくる。

 最終的には成功して出て行くことになるマンゴー通りの、様々な人の様々な瞬間をエスペランサは切り取って言葉にする。「書きつづけなければだめよ。書けば自由になれるからね」という病気のおばさんの言葉を胸に抱いて。

 

 作家の温又柔さんもおなじようなことを解説で書いていらっしゃるのだが、私も生まれてからというもの三年に一度は引っ越す生活で、言語や文化の狭間に生きてきたので、エスペランサの気持ちがよく分かる。他の名前に憧れる気持ち、「普通」になりたいと願うこと。

 でもきっとそれは移民だけが感じる気持ちではなくて、すべての少年少女がある時点で経験する感情なのではないだろうか。だからこそ、この作品は1980年代に発表されてから現在まで読み継がれてきているのだろう。一歩自分の家を出て家族から離れればそこに待ち受けているのは「異文化」で、子供たちは皆どうにかその中で折り合いをつけていかなければいけないのだ。

 そして、「エスペランサ(希望)」という名前の女の子の物語を、くぼた「のぞみ」さんという翻訳家が訳すという偶然にも幸運な出会い! なんて素敵なんだろう。温さんの『来福の家』も読みたくなった。

来福の家 (白水Uブックス)

来福の家 (白水Uブックス)

 

 

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