トーキョーブックガール

海外文学や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

Milkman / アンナ・バーンズ

今年のブッカー賞ロングリストを見て、一番興味を持ったのがMilkman。 

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 アイルランド人作家アンナ・バーンズによる3作目の長編小説である。なんだかすごく変わった味わいの小説だというのが、読み始めた時の感想。

ちなみに読み始め、とクセで書いてしまったけれど、Audible版で聴きました。ナレーターはブライド・ブレナンという北アイルランド出身の女優で、臨場感がある読み語りがよかった。

Milkman

Milkman

 

 主な登場人物に名前はない。皆、それぞれの立場が呼び名となっている。

主人公は18歳の女の子。まわりからは"middle sister(家族から)"/"maybe girlfriend(彼氏的な存在の男の子から)"/"friend(友人から)"などと呼ばれており、本名は明かされない。彼女が、何年か経ってから18の頃のことを回想するという形で物語が始まる。

彼女には"maybe boyfriend"という、付き合っているのかいないのか微妙な関係の2つ年上の男の子がいて、でも小さな噂社会で波風を立てたくないので、彼の存在は母親には話していない。

ところが、ある日"milkman(牛乳屋)"として知られている年上の既婚男性が声をかけてくる。彼女に好意を抱いているらしい。そのうち何度も追い回されるようになり、挙げ句の果てには「"maybe boyfriend"と別れないのなら、あいつを殺して、政治的な理由で殺されたように見せかけてやる」なんて脅されるようになるのだ。

その上、"milkman"とは何もないし、"milkman"の車に乗ったことなどないのに「"middle sister"は"milkman"と付き合っている」、「車に乗っているところを何度も見た」というゴシップが広まり、母親までも娘が不倫の恋をしていると信じ込んでしまう。

 

どういうこと?と、首を傾げたくなるディストピア的ストーリー展開ではあるのだが、この話の背景にあるのは北アイルランド問題、いわゆる"the Troubles"である、となれば合点がゆく。

明記はされないものの、1970年代のおそらくベルファスト(作家の出身地でもある)を舞台とした小説なのだ。

道路を隔てて向こう側は、違う宗教を信じる敵。誰が味方かは名前や政治に関する発言、見た目、購読している新聞で見分ける。どんどん閉鎖的になっていく社会。そんな描写が、シンプルかつrepetitiveな文体で表現される。

主人公が"milkman"に嫌悪感を抱きながらも、はっきりと嫌だと言えないのにはそういう理由もある。"Milkman"は争いが絶えないこの地域の権力者なのである。彼が「殺す」と言ったら、理由がなくても殺すのだ。

 

主人公は、監視社会(有力者の"milkman"が追いかけてくるようになったので、彼女まで当局の観察対象にされているのだ。外で誰かと話していると、見張られているような目線を感じ、カメラのシャッター音がするようなコミュニティ)の中で、波風立てずにひっそりと生きたいと思っている少女である。

他の人々から"beyond-the-pales(社会の常識を外れた人)"と見られることを極端に恐れている。

しかしながら、自分の意見はしっかりと持っていて、生き方を曲げようとはしない。

料理が好きでサッカーが嫌いな"maybe boyfriend"は、コミュニティ内でよしとされる男らしい男ではないと感じつつも彼のことが好きだし、「さっさと結婚してほしい、"Somebody McSomebody*1"なんてどうか」と若干18歳の娘に言ってのける母親に、「そもそも私は結婚する気はないし、McSomebodyは最低男じゃん」と言い返す。

一人称の小説にしては主人公の感情に関する描写が全くなく、彼女の気持ちが見えづらいものの、そういう家族や友人、恋人との会話から徐々に性格・性質が明かされていく。

 

悲劇的な背景にかかわらず、ユーモアもあって読書欲がそそられる一冊だった。ただし、犬や猫を殺戮するシーンが延々と続くのには辟易してしまった。猫の死体(の一部)は重要なモチーフとしても使用されている。動物虐待の描写が苦手な方は要注意です。

それでも期待以上の素晴らしさだったといえる。

 

"Milkman"という言葉を聞くと、『シカゴ』の"Cell Block Tango"を思い出してしまいますね。"You've been screwing the milkman!"がインパクトあって。

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*1:"Mc"がつく名字はアイルランドによくある名字。