トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

『ボヴァリー夫人』フローベール: 文学史上最大のダメ女?

[Madame Bovary]

わたし、どうして結婚なんかしてしまったんだろう?

 そんな声が全てのページから聞こえてくるような小説である。新潮文庫の表紙の絵も然り。夫人の背中からは、後悔が匂いたつよう。

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

 

 

 

ボヴァリー夫人とは、どんな女なのか?

 ダロウェイ夫人、エマニエル夫人、チャタレイ夫人、クレーヴ夫人(『クレーヴの奥方』)。文学作品のタイトルになった「夫人」は多くいるが、ボヴァリー夫人ことエンマ・ボヴァリーは一体どんな女性なのか?

 一言で言うと、とんでもないレベルの夢見る夢子ちゃんである。ジャンヌ・ダルクが好きで、愛読書は『ポールとヴィルジニー*1』。

 ナポレオンも愛読したというなんとも少女漫画的な小説を、エンマは好んで読む。ヴィルジニーを兄のように愛するポール、のような人と巡り会いたいと思っていつも色々と妄想している。でも、そんな風に夢見ることの何がいけないのだろうか? ド田舎出身ではあるものの、エンマはヴィルジニーのごとく美しいし、聡明なのだから。きっと自分も「美男子で、才気煥発で、気品があり、魅力的」な人と結婚するのだと思っていたのに……。

 学校を卒業して田舎に戻ってみたら、出会いなんてほとんどなくて、家に通ってきていた、パッとしないやもめ医者(シャルル・ボヴァリー)と結婚する羽目になってしまったのだ。自分を愛していることは確かだが、ときめきを与えてくれない男。かくして、ボヴァリー夫人の「なんだかタイクツ」ライフは始まる。時代が時代だけに、エンマが自力で幸せを掴むというのは限界もある。だから彼女に同情したくもなるのだが。

彼女は結婚するまで、自分が恋をしているものと信じきっていたが、その恋から生じたはずの歓びが訪れてこないので、自分が思い違いをしたのに違いない、と思った。そしてエンマは、本のなかで読むとあんなにも美しく思われた至福とか情熱とか陶酔といった言葉が人生ではじつのところ何を意味しているのか、知ろうと努めた。  

 ただ、もし彼女が現代人だったとしても……「お金持ちだし肩書きも申し分ないし、いい人なんだけど、ときめきがないんだよね。でも結婚って妥協だよね!?」なんて言いつつも、結婚していくんだろうなという気がしてならない。

 エンマが友人だったら「絶対やめたほうがいい! 妥協して結婚した人と死ぬまで一緒にいられるの? そういう夫婦の離婚率、結構高いよ」とアドバイスさせていただきたいが、聞く耳を持たない気がする。「愛するより愛されるほうが色々と幸せだし」とか言いそう。

 そんな想像ができてしまうくらい、エンマ・ボヴァリーの人となりが詳細に綴られた小説なのだ。さすが、リアリズム(写実主義)を確立した作家・フローベール。

 

 結婚してしばらく経っても、子供が生まれても、エンマは変わらない。

そして、いま、波風の立たないこの平穏な暮らしが自分の夢見ていた幸福だとは、とうてい思えなかった。

 時折ある上流階級とのふれあいに高揚し、素敵な子爵を見かけると「この人と恋愛できたらな……」と妄想。侯爵の家に招かれては、マリー・アントワネットの愛人の1人だったという耄碌したお爺さんを見て「あの人は宮廷で寝たんだわ」とうっとり。そのうちとうとう村の独身地主と浮気を始めてしまう。

 エンマは

わたしには恋人ができた! 恋人が!

と浮かれ上がってしまい、かつて読んだ本のヒロインたちのような不倫の恋をしていることが幸せでたまらなくなる。

 彼女にとっては生まれて初めて味わう恋心。そして、恋愛に対するあまりの期待の大きさから、どっぷりと恋人に依存するようになっていくのだが、人妻だから後腐れがないという気持ちもあって手を出した地主はあっという間に逃げ出してしまう。

 その後、以前知り合いだった書記の青年レオンと再会し、今度はレオンとの不倫が始まる……。さらにその後の借金騒動も含めて、つくづく「自分が持っていないものがことごとく欲しくなる女」だと感じた。不倫そのものは横においても、それがダメ女だと思う所以。

 

 

「キャラ立ち」した登場人物たち

  どうでしょうか。『ボヴァリー夫人』を読んでいなくたって、きっと手に取るようにエンマ・ボヴァリーという女性のことがわかったはず。これがフローベールをフローベールたらしめている特徴だ。他の登場人物も、皆が皆エンマに負けず劣らずキョーレツである。

 

シャルル・ボヴァリー: エンマの夫。最後の最後までエンマの浮気にも借金にも気づかない、間抜けで哀れな男性。ある意味幸せ。

ロドルフ: 浮気相手第1号。独身貴族。エンマのことは、遊び程度にしか考えていない。

レオン: 浮気相手第2号。若造。愛より性欲。

オメー: 村の薬剤師。化学&実験オタク。ゆえに美女のエンマとは縁遠い。登場人物をシャルル組、エンマ組に分けるとすると、シャルル組。他の人に認められたくてたまらない。

 

 という感じで、皆が皆デフォルメされすぎている感はあるものの、だからこそ「いるいるこういう人」と頷きたくなるようなキャラ設定なのである。あまりに皆キャラが濃すぎて、一事が万事大騒ぎ。そして常にすれ違い。

 

「ボヴァリー夫人は私だ」の意味

 この小説は、実際に起きた事件を元に書かれている。1848年にルーアンで起きたというドラマール事件だ。ドラマールという開業医(医者だったフローベールの父の知り合いらしい)の妻デルフィーヌが不倫を繰り返し、挙げ句の果てに多額の借金をして服毒自殺してしまったというスキャンダル。

 ゴシップ記事のネタにしかならないようなこの事件を文学に仕立て上げ、決して魅力的とはいえないエンマという女を主人公にしながら読者を最後まで飽きさせない小説を書き、写実主義という新たな書き方を確立したフローベールは素晴らしいというほかない。

 ボヴァリー夫人のモデルは誰かと聞かれて、「私だ(Madame Bovary, c'est moi)」と答えたというフローベール。この言葉の真意は今ひとつ理解できない。なぜなら、『ボヴァリー夫人』とは作者というものがちっとも透けて見えてこないような小説なのだ。 誰にも肩入れせず、起きたことを展開されるがままに書き綴っているよう。シャルルの子ども時代という視点から始まり、途中から視点がボヴァリー夫人にフォーカスされるという独特のシフトチェンジがそれを克明に表している。

 ただし、美少年で有名で、年上の女性に何度も誘惑されたというフローベールがゴシップ記事を読んで、デルフィーヌのやりきれなさを感じ取ることができたということなのかもしれない。

いまはもう何も残ってやしない! 心をゆさぶるいくつもの出来事を経るうちに、娘時代、結婚、恋愛と次々にさまざまな境遇を経ることで、かつてあったものを使い切ってしまい……そうやってこの人生を通じて絶えず失ってゆき、ちょうど旅人が旅程の宿屋ごとに自分の持ち金のなにがしかを落としてゆくようなものだわ。

というボヴァリー夫人の嘆きに、美しいがゆえに「消費されていく人間」の悲しみを見て取れる気もする。

 

 『ボヴァリー夫人』は映画化もされている。どちらも見たことはないのだけれど、見てみたい。 『ボヴァリー夫人とパン屋』なんて、すごく面白そう。

ボヴァリー夫人とパン屋(字幕版)
 
ボヴァリー夫人 [DVD]

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 それではみなさま、今日もhappy reading!

 

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*1:ナポレオンも読んだという触れ込みのロマンス小説。元祖少女漫画という趣の物語だ。孤島で育った幼馴染がいつしか愛し合うようになるが、二人はその後離れ離れになってしまい……。

ポールとヴィルジニー (光文社古典新訳文庫)
ポールとヴィルジニー (光文社古典新訳文庫)
  • 作者: ジャック=アンリ・ベルナルダン・ドサン=ピエール,Jacques‐Henri Bernardin de Saint‐Pierre,鈴木雅生
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2014/07/10
  • メディア: 文庫
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