トーキョーブックガール

世界文学・翻訳文学(海外文学)や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

Lincoln in the Bardo / ジョージ・ソーンダーズ

(リンカーンとさまよえる霊魂たち)

Lincoln in the Bardo: A Novel

Lincoln in the Bardo: A Novel

 

この作品が出版された時、空見でタイトルをLincoln in Barbadosと勘違いしていた(恥)。ブックカバーが鬱蒼とした緑豊かな大地、というイメージもあって、「リンカーン大統領ってバルバドスに行ったことがあるんだっけ……? どんな話?」と勝手に妄想を膨らませていたのだった笑。 

"Bardo"は『チベットの死者の書』に登場するチベットの言葉で「移行、中有」を意味するらしく、チベット仏教では死者が再び生を受けるまでの期間を「バルド(バルドゥ)」と呼ぶのだとか。 

作品中で、バルドにとどまっている「リンカーン」とは大統領のことではなく、その息子のウィリーだ。幼くして命を落としたウィリーは墓地にさまよう霊となる。

墓地には他にも多種多様な霊たちが存在しているのだが、ウィリーの他に子供はいない。子供の霊というのは、なぜだかすぐにいなくなってしまうものらしい。

ウィリーもすぐに消えるだろうと霊たちは考えていたのだが、ウィリーの死後、墓地にやってきたリンカーン大統領(ジェネレーションギャップで大統領のことを知らない霊もいて、"unkept man"などと言及したりする)はなんと"sick box"(棺桶のこと)を開けるとウィリーの亡骸を愛おしそうに抱きしめたのだった。そんな風に愛情を示されたことのない霊たちは色めき立つ。そして、なんとはなしにウィリーを見守るようになる。 

 

さて、ウンベルト・エーコは『開かれた扉』や『エーコの文学講義』にて、経験的読者とモデル読者について綴っているのだが、ブッカー賞というのは典型的な「モデル読者」ジャッジが、モデル読者のための作品を選ぶという賞だろう。

『フーコーの振り子』 ウンベルト・エーコ - トーキョーブックガール

そんなブッカー賞を2017年受賞した本作もまさにモデル読者が喜びそうな作品で、ソーンダーズが描き出す様々な仕掛けについて、あれこれ考えを巡らせながら読み進めることができる。

まず印象的なのは、その語り口。全編、幽霊や実在した人物が語ったこと、もしくはメモワールや伝記からの抜粋(本物もあれば、ソーンダーズが本作のためにでっちあげたものもあるという玉石混合)だ。

霊たちのやりとりが続くところは、まるでシェイクスピアの戯曲のような一面もあるし、かと思えば、やたらと口が悪い霊による"f------"や"g--------"といった「ピーッ」音が頻出するお昼のワイドショーを想起させるような会話もあって、意外性に富んでいる。

霊たちは各々の欲望や願望、苦痛の源が肥大化されたカリカチュア的造形をしており、しかも霊だから生きている人(大統領のことだが)の中に入り込み、彼の心の声を聞き取ったりできるという作者にとっても読者にとっても大変ありがたい存在である。

そして、情景や大統領の人となりを描写するためには、書物からの抜粋が使用されるのだが、様々な意見が、様々な立場から、何度も繰り返し語られると不思議なリズムが生まれ、一般的な小説として書かれた文章よりも鮮やかに、くっきりと立体的に、対象が浮き上がってくる。

一方、私たちがいかに自分の都合のいい解釈をして、見たいものしか見ていないかということも教えてくれる。例えば冒頭の月の描写はこんな感じ(それぞれ別の媒体からの引用という形)。

Many guests especially recalled the beautiful moon that shone that evening.

 

In several accounts of the evening, the brilliance of the moon is remarked upon.

 

A common feature of these narratives is the golden moon, hanging quaintly above the scene.

 

There was no moon that night and the sky was heavy with clouds.

 

A fat green crescent hung above the mad scene like a stolid judge, inured to all human folly.

 

The full moon that night was yello-red, as if reflecting the light of some earthly fire.

 

ユーモアにあふれた話なのだが、このストーリーテリングを通して見えてくるテーマ「息子を失った父の悲しみ」は何もリンカーン大統領だけが経験しているのではない。

時は南北戦争真っ只中、多くの父親が戦争で息子を亡くしている。戦争で肉親を亡くした・もしくは命を落とした霊たちの嘆きを、南北戦争に関して責められ批判されるリンカーン大統領の悲しみに重ね合わせて読んでいると、なんともいえない気持ちになる。

 

さて、オバマ大統領からトランプ大統領へと政権交代が行われる中、ディストピア小説だけではなく南北戦争や奴隷制を描いた作品も多く出版され、人気を博している。

トランプ大統領のいうところの「古き良きアメリカ」を追い求めるのではなく、歴史を再認識し、新しい社会を築こうという作家や読者のメッセージもあるのかもしれない。

ジョージ・ソーンダーズに関して言えば、自身の政治的立場は明かしておらず、本作についても「特定の政治的観点を表現した作品ではない」と語っている(下記インタビュー参照)。

George Saunders’s Political Wisdom, Illegal Immigrants, and Trump - LA Progressive

それでも、"empathy"についてこれだけ語っていると、やはり現政権への批判も含まれているのではないかと考えたくもなる。

What moved me about Lincoln’s arc during his presidency . . . was the way that the burdens of the office . . . beat him down and made him sorrowful, but also, almost causally, seemed to expand the reach of his empathy, so that, by the end, it included soldiers on both sides and the millions of Americans being enslaved by other Americans. . . . I came to understand Lincoln as someone so beat down by sadness and loss that he developed a sort of crazy wisdom — as if, in sadness, all of the comforting bromides that normally keep us from the harsher truths were denied him. Empathy might even thrive best in this state, where the easy comforts are denied us. Conversely, empathy doesn’t do well in a climate of fear or anxiety, when one forgets the particular and individual and, in a panic, begins theorizing about whole groups of people without knowing many of them.

 

あまりに長く積んでいたものだから、とっくに日本語訳も発売になっていた。どう訳したのか知りたい! と思える描写もたくさんあったので、こちらも読みたい。

リンカーンとさまよえる霊魂たち

リンカーンとさまよえる霊魂たち

 

積ん読を解消したく、12月はせめて2018年に出版された作品だけでも読んでしまおうと思っている。とはいえ、冬は繁忙期……どこまで読めるかな。

急に寒くなりましたが、皆様もお体に気をつけて、happy reading!

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