トーキョーブックガール

海外文学や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いているブログです。

ヴォルテールの『カンディード』とSATC

[Candide]

大学を卒業してもうすぐ10年である。社会で働き始めてもうすぐ10年、でもある。

「もっと真面目に勉強しておけばよかったなあ」と思うことはないのだが、「今だったら、あの授業をもっと楽しんで受けられたなあ」と感じることは本当によくある。

秋の夜長はそんな思いに耽りたい季節。ということで、思い出の一冊を再読した。 

ヴォルテールの『カンディード』である。 

光文社文庫の表紙って、「人っぽい絵が描いてある」くらいにしか認識していなかったのだが、『カンディード』の表紙はすごい!

クネゴンデ姫にキスして、お尻を蹴られるカンディードが描かれているではないか。しかも、この表情…。なんか笑える。

カンディード (光文社古典新訳文庫)

カンディード (光文社古典新訳文庫)

 

あらすじ 

楽園のようなドイツの城で育ったカンディードは、クネゴンデ姫*1にキスしたところを姫の父親に見つかり、お尻を蹴られ城から追放される。

城の家庭教師パングロスに、オプティミズム(最善説)を教え込まれて育ったカンディード。

ものごとはすべて何らかの目的のためにつくられたものであるから、必然的にすべては最善の目的のために存在する。たとえば、鼻はメガネをかけるためにつくられた。したがって、われわれにはメガネというものがある。 

しかしお城の外で、人々を助けようとする善人が意地悪い男に殺されるのを目撃し、クネゴンデとも再会するものの、戦争で城は奪われ彼女の両親は殺され、彼女自身はユダヤ人の愛人になっていたことを知り、絶望の末に懐疑的な考え方を身につけていく。

その後クネゴンデのために新大陸へ渡り、大活躍するものの手に入れた財宝は奪われるわ、クネゴンデはお金目当てで現地の総督と結婚してしまうわ、踏んだり蹴ったりの目にあい、ついに

ぼくはあんたの最善説をついにここで捨てざるをえない……(最善説とは)すべてが最悪の時にも、これが最善だと言い張る執念のことだ。 

と宣言。ペシミストのマルチンとも出会い、

「それでは、この世界はいったいどういう目的でつくられたのでしょう」カンディードは尋ねた。

「何だこれは、と私たちを憤らせるためですよ」マルチンは答えた。

不幸なカンディードとマルチンは「幸せとは何か」について会話するようになる。

最終的に自分のためだけに働き、自分の人生に満足しているトルコ人の老人に会い、こう告げられる。

働くことは、私たちを三つの大きな不幸から遠ざけてくれます。三つの不幸とは、退屈と墜落と貧乏です。

お金もなくしたし、クネゴンデとはその後巡り会い結婚したものの彼女はすでに美貌を失い、カンディードにとって何の魅力もない女性となっている。 

そんな中で、カンディードは「とにかく自分の庭を耕さないと*2」と、初めて自分の意見を持つのだった。

 

哲学コント

『カンディード』は哲学コントであるとよく言われる。素直で楽天的だった青年が、オプティミズムを信じ込み、その後ヨーロッパ&アメリカ大陸各地を旅しながら戦争、貧困、伝染病などなど天災も人災もありとあらゆるものを経験し、ペシミズムを知っていくという物語だ。

カンディードの会話の端々から、当時のキリスト教に対するヴォルテールの考え方も垣間見ることができるし、

えっ、それでは修道士とかはいないんですね。教えを垂れたり、言い争ったり、支配したり、陰謀をたくらんだり、自分と意見のちがう人間を焼き殺したりする修道士などは、いないんですね。

出版社や編集者、批評家など、ヴォルテールと意見が対立する人物が作中で完膚なきまでに叩きのめされているのも面白い。

ユーモアを通して、ヴォルテールのオプティミズムに対する考え方が語られ、楽しみながら学べる作品というところだろうか。

 

大学生活とヴォルテール

The Open Syllabus Projectにて「英語圏の大学で最もよく使われる文献」リストが作られている。学部によっても本を読むか読まないかはかなり差が出てくると思うのだが、ちなみに『カンディード』は57位。

私は大学で政治学(専門は国際関係)を学んだ。大学生になって、最初の1年はまるまる政治の"schools of thought"を学ぶことに費やされた。

今までの歴史と、そこから生まれた政治に対する考え方だ。

プラトン、アリストテレス、アダム・スミス、トーマス・ホッブス、孔子、ルソー、マルクス。

その中でヴォルテールにおけるオプティミズム-ペシミズムのものの見方は、当時「テロとの戦争」を掲げていたアメリカ、そして混沌のイスラム世界と比較されることが多かったように思う。

何もかもを正当化して突き進んでいく様は、ヴォルテールの批判するオプティミズムと似通ったものがないだろうかという議論をよくした覚えがある。

とにかく1年かけて、読んで読んで読みまくったので、反動で卒業してからはヴォルテールの「ヴォ」の文字も見たくなかった。

しかし10年経って、仕事の専門分野が違うこともあり、大学に思いを馳せることはほとんどなくなり、さすがに勉強した内容も忘れた(気がした)今日この頃。

久しぶりにいざ再読とページを開いてみると、クラスを担当していたTA(Teaching Assistant)の大学院生のフランス語なまりの「ヴォルテールの考え方は〜」という何度も耳にした決まり文句が頭にぽっと浮かび、当時の図書館のにおいやら、教室の雰囲気やらが、怒涛のように蘇ってきて、何とも言えない気持ちになる。

あの頃泣きながら読んだ大量の文献を、今ならもっと楽しく読めるのになと少し残念に思った次第だ。

 

私が『カンディード』から学んだこと(政治学以外)

さて、政治学の考え方はさておき、『カンディード』 は私にすごく重要なことを教えてくれた。

幸せとは、人生に対して満足していることであるということだ。

中盤から幸せとは何か、懸命に話し合うようになるカンディードとマルチン。

お金を持っていることではない、恋愛でもない、結婚でもない、地位でも名誉でもない。幸せは、自分が人生に満足しているか否かで決まるのではないだろうか。

就職、転職、結婚と、人生の転機を支えてくれたこの指針。

大学2年生の頃には既にうんざりしていた『カンディード』。この本を読んで持った感想が、まさか自分の人生においてこんなに大切なものになるなんて。

わからないものです。

 

『カンディード』とSATC

ちなみに、Sex and the Cityを見ているといつも『カンディード』を思い出す。

「物事には全て理由がある」と言い張るシャーロットは、永遠のオプティミスト。

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キャリーもシャーロットの前向きな考え方に感銘を受け、著書を"the eternal optimist"シャーロットに捧げていた*3

“That night, I dedicated my baby, my book, to... - What Would Carrie Say?

そして、シャーロットはこんなことも言っている*4

Charlotte: But Carrie, everything happens for a reason. Even if you don't know what it is yet.

Miranda: That's such bullshit.

Charlotte: It's not! Look at me. If I had never married Trey, then I never would have gotten divorced and I never would have met my divorce lawyer Harry, and I wouldn't be engaged now.

Miranda: Uh-huh. Paper covers rock. 

トレイと結婚して離婚しなかったら、離婚弁護士のハリーにも会えなかったし、ハリーと婚約できてなかったもの…パングロスもびっくりである。

対するミランダはもちろんペシミストかな。

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でも、だからこそ誰よりも早く好きな人との結婚を果たし、子育て、義母の介護と甘いだけではない結婚後の生活を続けつつも、スティーブとの絆を深められたのだろう。

 

素直でウブで、「だまされやすい」と感じている方に。

この世に絶望しそうな時に。

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*1:キュネゴンドとも訳される。Cunégondeは、フランス語では"cul(お尻)"を連想させる名前である。翻訳者・斉藤悦則氏のあとがきによると、「日本語では、そのお尻に似た語感を楽しむことはないのだから、より女性的な響きを持つドイツ語風の読み方クネゴンデを採用した」とのこと。

*2:光文社バージョンでは庭ではなく畑と訳されている。

*3:Season 5, Episode 2 "Unoriginal Sin(愛こそすべて)"。

*4:Season 6, Episode 7 "The Post-It Always Sticks Twice(弱気な男のポストイット)"。